卑怯者でいいから!――“逃げる”が強いるもの

東日本大震災15年

きょう3月11日で、東日本大震災から、15年目を迎えます。私も2度、4年目、12年目と、三陸各地(自治体)を訪ねて回ったのでしたが、被災した人々にとって、この年月は、どういうものだったのでしょう。 

1万8420人もの死者、全壊、流出戸数12万戸以上という大被害に、復興が急がれましたが、家を失くし、避難所からもう移住を決めたり、また高台造成、かさ上げ工事に時間を要している間に、仮の住まいの方に骨を埋めることを決めたという人もあって、更に3割人口が減ったところも。老齢化と共に、被災した市町村の過疎化が目立つようにもなっているとも聞きます。そんな中で盛んだったのが、各地に震災伝承館がつくられたこと。建物や街の生々しい被害の様子を記録として残すとともに、あの日の津波の動き、また人々の避難行動がどうであったか振り返ることで、次の迅速な避難につなげたいというのでしょうが、こうした潤沢な事前の知識も、実際のその場面に活かされるか。避難に頼る限り、風化を恐れねばならないという、時間の問題も現れてきているように思われます。

ただ、時が解決することもあり、10年を超え、ようやく心の整理がついたというのか、冷静に振り返って見られるようになった人もいるようです。この6日に福島中央テレビで放送になった、福島県いわき市の、当時62歳の男性の例では、避難弱者を抱えたということになった時、自己を犠牲にすることが出来るのか、というぎりぎりの問が発せられているかと思えます。

あの日、男性が妻らと共に神社に向かって逃げていた時、負ぶっていた近所の足の悪い92歳の女性が階段手前でずり落ちてしまった。しかしもう津波はスグ背後に迫っており、担ぎ直す間はない。一時の猶予もない中でのとっさの決断、置き去りにしてくる他なかった。その時の、こちらを見たおばあさんの目の色。三日後、がれきの中から見つけ出したのも、その男性。夜眠れなくなり、朝起きてみると、枕がぐっしょり濡れている。 重いPTSDを発症していたものと推測されます。それを、自分で治していった。

きっかけは、1年半後友人の家。誰に聞かれたわけでもなく、ひとりでに話していた。

それからは、言葉に詰まり、涙を流しながらも、話してみる。だんだんと心が軽くなっていった。語り部として活動するようになり、今では、置き去りにしたことを突かれても、極限での判断を主張できる。「ああいう瞬間って自分の命より大事なものってあるのですかね」

この言葉には私もドキリとしました。人間のエゴなのでしょうが、それを正面切って言われると、ちょっと戸惑うものがある。そこで、私の思考も止まっていたのだと思います。これは、真理というか、ごまかしのない、人間の正直な気持ちではないでしょうか。欧米の肉食・強欲な人たち、トランプのような人ならともかく、ふつう人は、それを認めたがらないだけ。

美談もあるからです。2001年1月26日、JR新大久保駅で線路に転落した男性を助けようと、47歳のカメラマンと26歳の韓国人留学生が飛び降り、3人とも電車にはねられて即死しました。二人の行為は日韓両国で称えられ、遺族に対し、日本の政界、皇族からも敬意が表される、ということにもなりました。

結果から見ると、あたかも命を差し出したようにも見えますが、微妙なことも含んでいます。二人が相次いで飛び降りた時、命まで失うつもりはなかったのではないか・・・。当然? そうかも知れません。勿論この場合だって、誰にでもできることではない。先のいわき市の男性の場合、すぐ後ろに死を見ていた、負ぶい直せば2人共の死! 自分だけでも! 線路下の場合も、もうすぐ近くに電車が迫っていたなら、例え想い切って飛び降りても共の死が見えていたなら……。

改めていわき市の男性の例を考えますと、確実な二人共の死が見えていた時、それを選ばなかったのは、その人のエゴというより、一人でも生き残れるならという、人類としてのエゴ、或いは知恵のようにも思われるのです。「津波てんでんこ」という三陸に伝わることばも、この種のものと考えられるのではないかと。

津波での自己犠牲的な死者ということになりますと、3月9日の朝日新聞の記事。「東日本大震災では、人を助けようとして、大勢の人が命を落とした。地震の後、迫り来る津波の被害を防ごうと海岸近くにとどまり、住民の避難誘導や救助、水門閉鎖などの任務に当たった人たちだ。」

朝日新聞3/9(月)12:00配信より

この場合も、目の前に死が見えていたとは、言い難い。しかし、先に例に出しました2つのケースとは違って、仮に見えていたとしても、逃れることは難しかった、私人ではなく、責任ある任務を負った公人になっていたからです。

グラフを見ますと、消防団員の数が圧倒的に多いのが分かります。「避難誘導中だった人が118人、水門閉鎖などにかかわっていた人が59人、」。次にまた津波が来ても、間違いなく同じだけの犠牲者が出てしまうでしょう。

人を助け、自らは否応なく死ぬ他ないとは……。苛酷過ぎやしないでしょうか。今回限りで、本当にもうやめにして欲しいと思います。記事には、「卑怯でも、生きててほしかった」という母の慟哭も記されています。

何をやめるのか、って? 避難をです、避難しなくなれば、避難誘導も要らなくなる。いわき市の男性のように、避難弱者、足の悪い人を置き去りにして、殺してしまったと、長く自分を責め,追い詰めることもなくなる。

避難しないで、死ねと言うのか! と憤然とされるでしょうか。しかし、津波というと避難、それしか浮かばない、完全に固定概念、既成概念化したことで、残してゆく家屋流出は当たり前(当たり前でいい筈がない! 家は一世一代の買い物、財産の筈)となり、その上、下手すると命まで失いかねない、いやこの度も多くの命が失われた避難という危険な道に踏み込んでゆく。そろそろもう、相も変らぬ永年の手段の破綻していることに、気づいて欲しいと思うのです。

災害、特に津波に対しては逃げるのが定番になっていながら、それがいかに難しく、見込み違いによって死に直結してしまうかは、このブログで繰り返しお伝えしてきた通りです。迅速な避難は、先日の内閣府の発表でも、ハード(防潮堤等)面の無力がはっきりしたことで、第一に重要なことにされてしまいました。国を挙げてもはや岩盤化した既成概念の補強に努めている。

改めて言わせてください、もう逃げるのは、やめにしましょう。津波で死ななくていいようにするには、ただ一つの方法があるだけ、建物を工夫し、津波が来ても、中にいればいい、逃げなくていい建物に住んでいることなのです。 参考https://www.shimztechnonews.com/hotTopics/news/2012/t121128.html 

けさ(11日)の日本経済新聞にも「津波避難 心構え途上」という記事が載りました。内閣府が「2025年末に日本海溝・千島海溝の巨大地震への注意を呼びかけた際、『何もしなかった』という住民が6割にのぼった。」というのを取り上げ、いわき市の調査でも同じ結果が出たということで、防災意識の浸透は道半ばと判定を下している。これなども、記者がもう、避難が一番、避難しかない、になってしまって、お役所の発表に乗っかり、一緒になって住民のお尻をたたいている。 

もういい加減、人間には出来ないこともあることを悟り、政府が望み、記者の方がそうなっていい筈と考えておられる避難意識の徹底などは、到底不可能と断念した方がいい。「てんでんこ」という教えがあっても、これほどの犠牲者、教えが形骸化していたのか、などと問い詰める必要はありません。人間というのは、正常化バイアスという言葉もあるように、常に横着をしたがり、間違うものなのです。そこから出発し、人々の意識を問うのではなく、ハードを問う――災害資本主義そのものの土木偏重から、建物革命(津波に耐えるビル)へと進んでいって欲しいと切に願うものです。

いわき市の男性は、自分ら被災者の側にも落ち度があった、いつもと同じだと油断していた、高をくくっていたと、この面でも、正直に自分を見つめて反省を口にされています。しかし次の時には、世代が代っておられるでしょう。震災伝承館が雨後の竹の子のようにあちこちに造られ、体験の継承が図られても、時の経過は如何ともし難く、どこでも世代総入れ替えの状態では、やっぱり油断があり、見込み違いがあり、避難弱者の問題もあって、逃げるのに消防団員の誘導(犠牲)を必要とするところも出てくる。南三陸町の防災庁舎で住民に避難を呼びかけつづけながら、津波に吞み込まれていった女性職員の方は、先の尊い殉職者の数字の中に含まれておりません。その方に安心して息んでいただくためにも、今後もう避難はなしにしようではありませんか。

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