ケガは休んで治せ…大相撲

 横綱 照ノ富士が引退した。最後になった翔猿に敗れた一番(初場所4日目)など、障害者が車いすから降りて土俵に上がったような土俵の割り方で、痛々しいというか、無様この上なく、今度こそ、引退を決めてくれるものと期待したのに、またしても「休場」。ああまたか、と気の遠くなるような思いを味わった後で、引退表明となり、私は心から、お疲れ様、と言いたい気持ちになった。

 折角大関に昇進しながら序二段まで陥落し、そこから這い上がってきた程の力士だから、歴代のどの横綱よりも、精神力の強さは称えられてよい。それだけに、体調万全で相撲が取れていたならと思わざるを得ない。そしたら、国は同じでも人品のひどく異なる、あの優勝回数最多の方に引けを取らぬ成績をおさめたかもしれない。

 それが出来なかったのは、何と言っても、膝のケガ。ために休場又休場の、醜態をさらしてきた。その挙句の、僅か33歳での引退なのである。序二段からの復活も、相手力士よりも自分との、悪い膝との戦い。恐らくいつだって何の憂いもなく、ということはなく、常に不安を抱えての、だましだましの相撲だった。 

 ただ、こういう経過をたどる力士は珍しくなく、これ迄、膝を悪くして志半ばにして引退に追い込まれた力士は、数限りない。先の九月場所で引退の貴景勝もだが、相当に無理して体重を増やした力士、元々あんこ型と言われる肥満型の力士、押し相撲を得意とする力士など、体重が170Kgを超え、膝に負担のかかる型の相撲を取る力士には、免れがたい宿命として、膝の故障がある。これは古来、ずっとそうなのであって、容易に予想できること、であれば入門した時から稽古の際、何らか膝のケガを防止するような工夫があってしかるべきである。幾ら稽古で鍛え、相撲が強くなったとしても、ケガで離脱となっては稽古した意味がない。「土俵のケガは、土俵の砂で治せ」とかいう”名言”があるらしく、またそれをしたり顔で解釈してみせる記事も散見されるが、みなたわ言と断定して差し支えない。こういう精神主義が通用するものなら、照ノ富士など一番に救われる資格がある筈。やはり、初代若乃花とか、千代の富士などの軽量の力士なら傷を負っても、稽古で悪化させるより、上達の進みの方が早いであろうから、克服することもあろうかと思われる。しかし重い人には、到底無理な話。必要なのは、ケガは早い中にしっかりと治し、その後に二度とケガしない為にはどうすべきか探りながら稽古を再開するという(2025年のシーズン前、前年Wシリーズの盗塁で左肩関節を負傷した大谷選手が、肩を傷めることのないスライディングを模索しながらの練習を始めている、そのような)まっとうな処置。膝に強い不安を感じていても日頃、稽古で治せ、なんて言われていたら、休みたいとは言い出せず、いよいよ悪化させてしまうことだって大いにある筈。親方の見識が問われている。

 休んで治すという当たり前のことができる為には(できないとサポーターを体中に巻き付けた力士同士が対戦、ミイラ対決なんて揶揄されることになりかねない)、やはり公傷制度はなくてはならないものであり、復活すべきは当然。果して相撲協会が、この初歩の理屈が分る所か?  これ迄数々騒動を起こし、相撲の世界しか知らない弱さを露呈してきた協会幹部。何か起こった時の統治、運営に欠陥があるのは明らかであり、外部からトップを招へいする必要は、以前から論じられてきた。今だにしがみつき手放そうとしないのでは、照ノ富士の、もはや不治化しての休場に次ぐ休場の苦闘史が美談として永遠に語り継がれることになろう。そうではなく、照ノ富士程の恵まれた精神力、体格を持った若者にケガに祟られることなく相撲人生を全うさせるには、どうしたらいいか。

 この引退をきっかけに、ケガ予防の手法、制度の研究、そして確立こそが、進められていかなくてはならない。モンゴル出身力士の中には、体重178㎏の押し相撲ながら、通算連続出場歴代1位の記録を更新し続けている、幕内最年長、40歳の玉鷲という、珍重されるべき、いや、研究し尽くされるべき鉄人力士もいる。ケガして立ち直ることも立派なことだが、それ以上に大事なのは、ケガをしない、少なくとも致命的なケガは負わない、その断固たる予防対策なのである。

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