津波対策ビルの漂流
*引用のイタリック体も含め、太字はすべて、筆者によるものです
清水建設の公開している資料により、凡そのところこのビルがどういうものか、お分かりいただけたのではと思います。

地震は勿論、津波にも耐え得るビルであれば、このビル内のオフィス勤務者に避難は無用のこと、業務は継続でき、自宅から逃れてやってくる多くの人も受け入れることもできるということで、どういう感想を持たれたでしょうか。
「こういうのがあるのなら、それはいいと思うよ、だけど建設費が2倍というんじゃ、なかなか手が出しづらいんじゃないかなあ」と直ぐには思われたかも知れません。
その建設費ですが、2012年清水建設の発表は、坪当り150万円(東京地区で2012年当時RC造りの建設費が75万程度、その2倍)でした。2023年で言うと、RC造りの全国平均坪単価は、103.7万円(県によっては、172万円のところも)、アーチシェルターだとその1.5~2倍。 2400人収容のこのビルの延床面積は9650㎡(アーチウォール部:3631m2インナービル部 : 6019m2)ですから、掛け合わせていきますと、45~60億円という数字が出てきます(筆者の試算)。
確かに一般のビルよりも、高額になっていますが、それだけのことはある、得られるものが全然違うということも言えるのではと思います。
実際のこのビルの評判、受注はどうだったのでしょうか。
20m級の巨大津波にも耐え得るビル。この度の無惨という言葉でも済まないような津波被害を思えば、これこそが今迄の建築にとって代わって、海辺の市街地などに導入されなくてはならないもの。当然、そのうちには、このビル受注の話も聞こえてき、三陸のどこかの市で建設されたのが報道される、きっとそうなると思い込んでいたのに、一向にそういう報道がない。採用されるなら復興に大わらわの今をおいてない、という思いでいたので、終に堪え切れず私は、アーチシェルタービル発表の2年半後の2015年3月11日、意を決して清水建設本社を訪ねていったのでした。

その答えは、1棟も受注してない。
この時の衝撃、落胆の思いをどう表したらいいのでしょう。
世に不思議なことは多いのですが、誰しもこのビルのことを知れば、これしか津波被害を確実に食い止める手段はなく、それなら、膨大と言っていい費用の割に決め手とならない、何より時間のかかる他の対策よりまずこれを採用すべきと確信できる筈。なのに、これがいまに至るも1棟も実現していないという酷な事実は、何を意味しているのでしょうか。
未だ1棟も、という清水建設の答えを聞いて私は、ドン・キホーテ以上の無謀、阿呆の極みとうすうすは自覚しながらも、それなら自分が行って、これを津波常襲地に建てるべき住宅(集合住宅)として売り込んで来よう、併せてどうしてダメなのか、探って来ようと、三陸各市を巡ってくることにしたのでした。
2015年6月末、釜石市を皮切りに、大船渡市、気仙沼市、仙台市、名取市と廻りました。清水建設がこれら自治体に話をしたとすれば、庁舎としてでしょうが、結果はゼロ。代って社員でもない者が、住居にもなるものとして住宅整備の担当部署に持ち込んでみても、もう予算を使い切っているとか、災害公営住宅も発注が進み、別のものを検討する余地はない、という答えが返ってくるばかりでした。どの市でも、一般人の不意の来訪にも誠実な対応だったと思いますが、「移転の難しい沿岸の市街地にもこのビルなら、かさ上げを待たずともすぐに建てられます」とアピールしますと、他方では、防潮堤、かさ上げと対策してもなお津波の惧れの残る土地に商店街再興を図りながら、「浸水想定区域に住居を設けるのは、住民感情に反します」と真顔で反論してくるところもありました。残念なことですが、ともかくもう使途は決まっていると、予算のことを言われると、時、既に遅し、と引き下がってくる他なかったのでした。
ただ、清水建設の津波対策ビルが、震災後半年で開発され、ただちに担当省庁、自治体の関係者などに知ってもらう営業活動なり、宣伝活動をしたとしても、難しいことだったろうと思われます。というのも、震災後の復興計画ですが、2011年4月11日に東日本大震災復興構想会議が設 置され, 6 月 25 日には,「復興への提言」が提出された。また、6 月 20 日に「東日本大震災復興基本法」 が成立し復興 財源確保法が 2011 年 12 月 2 日に、また復興庁設置 法が 12 月 16 日に成立し,同月 24 日に公布・施行されたのでした。
復興会議では識者の提言を元に真剣に討議され、法を整備して、よりよい復興にと、多くの人が精一杯、努められたことと思います。ただ、結局のところ、その奮闘には、常に枠がはめられていたのではと、思わざるを得ません。
東日本大震災からの復興の基本方針
(2011年)平成 23 年7月 29 日
東日本大震災復興対策本部
「減災」の考え方に基づくソフト・ハードの施策の総動員 (ⅰ)津波災害に対しては、たとえ被災したとしても人命が失われないことを最重 視し、災害時の被害を最小化する「減災」の考え方に基づき、「逃げる」ことを 前提とした地域づくりを基本に、地域ごとの特性を踏まえ、ハード・ソフトの 施策を組み合わせた「多重防御」による「津波防災まちづくり」を推進する。
ここに「総動員」とあるハード面に限って言ってもこれ迄行われてきた手法、つまり①盛土整備(かさ上げ)②防潮堤建設③高台造成、移転④災害危険地区指定(防災集団移転)など、まさに前例主義そのものである定番のメニューに頼り、「多重防御」という、それぞれが不確実な故に多重となる他ないとも言える手法にもすがって防災の街づくりを進める。しかしそう迄しても、「逃げる」ことを前提としている、というのが奇妙、というか御愛嬌なのですが、ここに新顔・全く違うコンセプト(浸水を前提として、建物を工夫することで、津波被害をなくす)に基づく清水建設のアーチシェルタービルが入り込む隙はありません。何しろこの津波対策ビル、これら前例施策に引導を渡す、と言っては言い過ぎになるでしょうが、とにかく「もう逃げることは必要ありません」「わたしで大丈夫ですから」と言っているような性質のものなのですから。そんなものを取り込んだのでは、他の手法はメンツ丸つぶれになってしまうという訳です。
全く、引導など渡されてはたまりません。震災が起こると、地獄を見るような悲惨な光景をしり目に建設株の株価が跳ね上がることで分るように、特に土木業界でビッグチャンス到来と、期待が膨らみます。それこそが定番のやり方となって行く訳ですが、「じゃあ、不要なとでも言いたいのか、それらの、一体何がいけないんだ」と、憤られる方もおられるかもしれませんので、それぞれ最高の達成、或は最新の国としての指針を取り上げる形で、結局は決め手とならず、時には弊害、或は犠牲が大き過ぎることが指摘される――そうまでしても逃げる必要は残ると言う、そんなものでいいのか、その辺のことを検討してみたいと思います。
1.盛土整備(かさ上げ)

[陸前高田のベルトコンベアがかっこいい]

切り崩された山側(今泉地区)を撮影
かさ上げするとは、疑似高台を形成することですが、山地に造成するのと違って、沿岸部でやるとなると土砂の調達が大変で、工事期間の問題もあって、5~6mの高さで手を打つしかないという難しさがあります。それに反抗したように陸前高田市では、沿岸部にあった元市街地復興を目指し、近くの山を切り崩し、その土砂をベルトコンベヤーで運ぶという大胆な手法を用いて、他所にはない、12~8mの高さのかさ上げを実現しました。何より工期短縮という点で素晴らしかった筈なのですが、その後の整備のスピードはどうだったのでしょうか。かつての商店は殆どが戻らず、残念なことに今ハザードマップを見ますと、12.8mの高さの防潮堤まで完成させながら津波浸水の可能性を残していることが分ります。他所の自治体、5~6m程度にかさ上げをとどめた所なら、なおさら。
(この事でも分るように、かさ上げというものは津波対策としては限界のあるもの。しかし河川の洪水対策としてならどうでしょう。気候変動が進み、各地で集中豪雨が頻発、堤防の整備だけでは無理があることが次第に認識されるようになりました。調整池を設けるとか、道路を高くするとかの手法も検討され、また、浸水を前提に、住宅地をかさ上げすることで人命だけでない、家財産をも守る指針を発表している自治体もあります。その一方で、地価の安い浸水想定区域に洪水のように入り込む開発業者のなすがまま、住宅建設を認める自治体も多く、言語道断なことが平気で行われている。少子化を解決せずして人口の取り合いに走って、今後どうなるかは歴然。どうしてもそうしたいのなら、せめて業者にかさ上げを条件として飲ませるべきではないかと思われるのです。)
2.防潮堤建設
2011年6月、中央防災会議の専門調査会は、数十年から百数十年ごとに起きる津波(L1)を防潮堤で防ぎ、それを超える津波(L2)は、避難を軸に「多重防御」で減災すべきだと提言しました。これを受けてL1対応の防潮堤整備がスタートし、実に総事業費1兆円という、岩手県から宮城県、福島県に至る計約600カ所に、総延長400km、中にはその高さ15mを超えるものもある巨大防潮堤が建設されてゆくことになったのでした。

https://www.cinematoday.jp/news/N0072079安倍首相夫人、被災地の防潮堤建設の再考を訴え掛ける
これに対し住民はみな賛成だったかというと、それぞれの所で、景観が失われるとか、観光業、また漁業が出来なくなるとかで、反対を言う人も当然いた。結局は、他の復興策に影響してはという心配から、押し切られてしまった。弱いと言えば弱い。一方最強の筈の首相、その夫人だった安倍昭恵氏がこの計画に異を唱えて、話題となりました。その真意を毎日新聞のインタビュー記事から探ると、防潮堤というのは、完全に安全でもない、ある程度の高さのものは必要としても、余りに巨大なものは、生態系を崩し、海が見えなくなれば、町は魅力を失う、となるとマイナス面の方が大きく、費用も大変なものになるから――となります。安全でもない、というのは、幾ら作っても、L1を超える津波がくれば意味をなさないということかと思われますが、頷ける話で、しかし夫人がその見直しを訴えた宮城県知事は、二度と津波被害を出したくないから作るのだと言って、会談は平行線だったとか。昭恵氏も言及しておられるのですが、上で計画したものをとにかく推進しようとしている。他ならぬ首相夫人の、もう、全くその通りというしかない問題点の指摘にも耳を貸さず、強引に進めてゆくというのは、ダムでもそうですが、果たしてお役人のメンツからだけなのか。知事なら県民の幸福を最大限に考えなければいけない筈なのに、実際に役立つかどうか疑問の残る、しかし確実に人にとって大事な多くのものが失われる、そうした巨大防潮堤を何が何でも作ろうというのは一体……。その判断能力を疑う程私は無礼者ではありませんが、或はひょっとして何か義理あるものに捉えられておられたのかと、つい考えてしまいます。
人にとって大事なもの、と申しました。何か、言ってみろ、と言われそうですね。所謂景観、美しかった浜の風景が消えてしまうのは勿論ですが、水産業が難しくなる。1993年の津波で被災した奥尻島では、防潮堤の周りの自然が変わってしまい、漁業だけでない影響が広がっていきました。
そうした目に見えるものの他に、言葉にはしにくいものもあり、誰でもそう簡単には言えない。大防潮堤が出来ることによって、一体、何が起こるのか。計画を知り、反対してきた住民自身、或は生態系への懸念も言っておられた安倍昭恵氏すら、充分には認識しておられなかったというのが真実だと思われるのです。

あした浜辺をさまよえば 昔のことぞしのばるる
風の音よ雲のさまよ 寄する波も貝の色も
この日本に生れた者なら、誰でも一度は歌ったことのある「浜辺の歌」。大正時代につくられ、戦後から今に至るも、中学校の教科書に載る曲となったことから、更に広く知られ、歌われてきました。「昔」のこととは、どんなことなのでしょうか。……
少年時代、遠浅の、青い澄み切った水の海で思う存分泳いだことか。或いは白砂の広がる清らな浜辺で、砂遊びをしたこと。また干潟の浜にいき、アサリや蛤を取ったことであり、また砂浜の後ろに控えていた松の林、その下にあった小屋掛けの店で、かき氷を食べたことであるかもしれない……
山陰でも瀬戸内でも、北の方でも南の方でも日本のどこでも、子供の心に深く残る海の想い出は作られてきました。それだけ海辺には人を惹きつけ、その根源に訴えてくるものが溢れているのだと思われます。それも、海からすべての生物は誕生してきたからであり、生命の母なのであるからに違いありません。それ故、浜辺は、そうした根源に触れる場でもある。

出典:town life 旅さがしhttps://townlife.co.jp/media/media_travel/
それは、世界の主要リゾート地がカンクン、ニース、モルディブ、ミコノス島、シチリア、そしてホノルルと例外なく海岸に集中していることでも理解される。上手に開発されたから人が集まる面はあるとしても、何よりそこにいる喜び、生命の喜びを深く実感させてくれる場所だからではないでしょうか。もし仮に――突飛な話にはなりますが――これらリゾート地の浜辺に、高波がくるからと言って防潮堤を作るとなったら。どうなるでしょう。あり得ない話ですね。何故あり得ないのか。それこそ失うものが余りに大きいからです。至宝とも言うべき美しい浜辺をつぶして防潮堤!? 気は確かかと言われかねない。では、日本の海岸は? それら世界的リゾート地には敵わないとしても、遠い時代より海水浴客をひきつけ、地元の人々から慕われ、誇りにされてきた美しい浜は日本にも数多い。また、浜として特に美しくなくても、干潮時の魚取りや潮干狩りなど、心躍る楽しみに場所を提供してきました。
やはり失うものが大きすぎる! と叫んでいいのではないでしょうか。あってはいけないこと! と叫んでもいいのではないでしょうか。
その一端、ささやかながら私の知る山陰・木与の海を山口県観光サイトより紹介させていただきます。

裸身に陽を浴び、その青緑の澄んだ水に浸る時、深々と体の奥底からこみあげてくるものがあります……
名も知れぬと言っていい浜ですが、幸せなことに津波の害は免れてきた。恐らく世界的な海岸も高級リゾート地として今も残っているところを見ると、津波はほぼ来ない場所かと思われます。しかしよく知られているように、ハワイは、違います。三陸と同じく津波常襲地。昔から防潮堤が築かれなかった筈はなく、しかしある時点で、それがあるために奥尻島同様、海岸に変化が起こり、それによる害を防ごうと新たにまた構造物を作る破目になるということに気づいた。それからしたことは、街を海岸から後退させることでした。日本でも、防潮堤に頼らない例として、大分県の中津干潟では住民が生態系保全の必要性について声を上げたことで、防潮堤の建設位置が干潟の後方に変更されました。
* この項――ハワイ及び中津干潟の考察については日本自然保護協会の「特集:このままでいいのか防潮堤」に依拠しております。
また三陸でも、行政にモノ申し、弱くない道を選んだ所もあります。
(前略)津波によって、多くの犠牲者が出た女川町。震災後、防潮堤をつくるかどうか、大きな議論になりました。その結果、女川の人たちは、防潮堤を建設しない、海が見える町をつくる決断をしたのです。津波への備えは町を高台に移すことで対応しました。港の近くには漁業施設を整備。土を盛って4メートル高くした地盤には商店街などを海抜25メートル以上の高台に住宅地を作りました。震災から6年後のお祭りの様子です。町に賑わいが戻ってきました。海が見える「ふるさと」の景色を大切にしたい。女川の人たちが選んだ「まちづくり」です。( NHK防潮堤とまちづくり 〜女川町の場合〜 )
これ程までに建設による弊害が懸念され、ほんのごく一部、住民の懸命の取り組みで例外的にとりやめ、または計画変更となった所もある防潮堤ですが、莫大な税金の投入、観光業や水産業への打撃、海辺住民の、一変した風景の受忍など、多大な犠牲を払いながら、しかしその甲斐が全く無いのではと懸念される点も語られるようになりました。

その第一は、建造物の宿命とも言うべき寿命の問題です。先にも触れました奥尻島。1993年の被災後に造られた防潮堤とか人口地盤とかの老朽化が着実に進んでいる。普通の地の上に建ててさえ寿命が50年くらいとされているコンクリートの建造物。なかなか施工管理もハードな海辺に造られ、ずっと波に洗われつづければ塩害による腐食、劣化・損傷のスピードも格段に速いと覚悟しなければならない。次の津波に備えるべく作られた防潮堤ですが、仮にそれが50年後とすると、その時には、極めて壊れやすい状態になっている――つまりは役立たずで終わる、ということになりかねません。巨大津波によって、巨大防潮堤の瓦礫を陸に運んで貰うという、そんな皮肉過ぎる悪夢もちらつく……。そうならないよう、20年後かに、又造り直しますか?
3,高台造成、災害危険地区指定(防災集団移転)
これは、再びの自然災害の予想される所を災害危険地域に指定し、安全とされる別な場所(高台)に土地を用意して住宅を建てさせるというものですが、山間の地の土砂災害のように、限定的にある地区で繰り返し起こっているというのであれば、住民の思いは一つになり易いと言える。それに対し津波の場合、市街地だった所も多く対象となり、指定が広範囲にわたるため、生業により、また場所により、住民の思いはそれぞれに分れ易く、地域(集落)ごとまとまってというのは、容易ではない。また色々と手間取っている中にも気持ちは変化してゆく。
行政としては、移転の最低単位を5戸にするなど、制限を緩和、元地の買い取りにしても、移転先への補助にしても、公側が負担を全的に背負いこんで、国の補助事業でも特別なものの一つにしているので成功例も勿論あり、高台とかに移ることは絶対の安心の得られるわけで、やるべき事業であることは無論、だが。危険地域に指定すること一つをとってもデリケートな問題で、複雑、膨大な手間と手厚い支出の割に報われず、費用対効果を考えると、他の方法を模索したくなります。
それでも、今後、甚大な災害の懸念される所に適用して実現となれば、住民の生命、家・財産は予め守られている訳で、その利益は計り知れないものがあります。また事前であれば、長引く避難生活もなく、用意された所に移る決断も維持されやすい。いいことずくめなのですが、これがほぼ絶望的と言っていい程に見通し難となっているのです。第一には、移転に進む為には、その地域が災害危険区域に指定されなければならないのですが、その前段階として、警戒区域への指定があり、現状では、地価下落を嫌う住民の反発を恐れてかこれすらできていない、その手前で足踏みしている所も多いのです。そして第二には、住民の重い腰があります。いつ来るとも知れないもののために、住み慣れた、便利にも感じている所を捨てたくないと思うのが人情というもの。勿論、それでいい筈がないのですが、高齢化が進んでいる地区も多ければ、「ここでもういいよ」という考えにもなり易く、説得は容易ではありません。こんなことをしている中にも、終にその日が來るのではと思わせる、とても怖い現実が広がっている。第三には、例え住民が高台への移転を望んだとしても、移転適地を見つけにくいということがあります。ないからこそ、太古以来壊滅的被害を繰り返しながらも永年そこに住みついてきているわけで、動きようがない、ということも言えるかと思います。例え適地があったとしても、この問題が厄介なものであることは、『津波と村』という本を取り上げた処でも明らかにしました。適地を確保し、ようやくの意思統一の末、まとまって移転したとしても、漁師など、生活の都合から何年も経たず元の地に戻る家が現れ、愿地への愛着もあって結局はみな戻ってしまったということが、繰り返されてきたのでした。
4,避難タワー

東日本復興策から少し離れて、南海トラフ津波対策として最近特に多重防御の中に組み入れられている感の強い避難タワーについても、この際改めて考えてみたいと思います。国土交通省の「避難ツールガイド」には、「津波避難タワーは、高台や浸水区域外の避難場所までの避難に時間を要する地域において、緊急的に一時避難する場所として活用する施設です。」と書かれてあります。つまり南海トラフ地震では津波がすぐ来るので、とても高台とかに向かったのでは間に合わないから、近くに造ったタワーに走れ、というわけなのです。しかしながら、誰しも抱く疑問として、すぐ傍に家があり、健脚を誇る人なら、大慌てで支度をして、履くべきものも履かず家を飛び出し、タワーを駆け上がれば間に合うかもしれないが、その他の人はほぼダメなのではなかろうかというのがあります。私もそんな気がしてならないのですが、仮にそのタワーの周り半径200m以内に100人の人が住んでいたとして、間に合う人が一体、何人? と考えますと、老人、病人、妊婦、乳幼児、車いすの人。いや元気な人でも、私のように決断力、動き共に鈍い上に横着な構えの者は、多分ですが、やっとこさ家を出た途端、やられている。何しろ高さ1mの津波でももう危ない、ほぼ生存者なし、という、それが5,6分以内に到達するという所が結構多いのですから。これでは下手すると100人中、たった一人、なんてことになりかねません。タワーというのは、あれで意外に高価とあって、費用対効果がひど過ぎる。
そんな筈はない? いや、ないどころか、とんでもない。「”逃げる”に逃げるな! その3」の冒頭でお示ししましたように、静岡や南紀、四国では地震後、僅か2~7分で津波到達となっているのですから。20~30分程度時間のあった東日本大震災ですら、2万人近い死者が出ていることからすると、いかに危険度の高いものの襲来を覚悟しなければならないか、分ります。人命も何も、家も財産も何もかも、ほぼ全滅の悪夢をつきつけられている。
これでどうして、「逃げるに逃げるな」の所でも論じましたが、間に合う筈もないタワー建設に走るのでしょうか。建てて貰ったというので、町内によっては、これで安心と、完工式で感謝の言葉が述べられたとか。避難訓練も重ねられているようです。
こうして各項目ごと吟味してきますと、一体本気で津波から救われたいと考えているのか、気の遠くなる実態があります。どうして、こんなことに! そこには何かカラクリがあるのではと、疑わざるを得ません。誰がこの繰り返される愚を喜んでいるか。
悲惨な被害があり、早く復興をの声に逆らえる人はいません。前例踏襲で、防潮堤、復興住宅、どんどんやればいい。何かに乗じられている感があっても、人命第一の声にかき消される。総額37兆円を超える復興予算が投じられたのでした。
何十年か後にまた津波、となった時には、そんなことすら忘れられて、またまた引き起こされた甚大な被害に復興会議が立ち上がり、やっぱり同様なことが繰りかえされることでしょう。
どこかで変わらなければならないのではないでしょうか。浸水阻止とひたすら人工構造物に頼る(そのくせ逃げるを第一として、家財産の放棄を推奨)のではなく、もはや浸水を前提に建物を工夫することで人も、家財産も守ってゆく、決してその時に、何もかも捨て身ひとつで避難するのではなく、謂わば日頃から避難している、その時が来ても、平気でいられるようにする。
それこそが、前の章からご紹介しております津波対策ビルに他なりません。

豪雪に悩まされてきた山深い地方には、急こう配の三角屋根の合掌造りが、度々の火災に苦しんだ地域(山口県阿知須他各地)には、 四方を土や漆喰で塗り固めた土蔵のような造りの居蔵作りが建てられるようになりました。
世界を見回してみても、雨季のある熱帯地方には、高床式住居が、強い陽射しのギリシャの島々では、雪のかたまりのような漆喰塗りの家が見られます。津波常襲地帯であれば、津波に耐えるビルが工夫されて当然ではないでしょうか。
津波襲来を恐れながらも移転出来ない。今の南海地震想定地に広く見られるこの進退窮まった事態から逃れるには、アイデアしかありません。津波にも耐え得るこのビルで、移転したと同じ効果が得られます。かさ上げなどする必要がありませんから(勿論、費用と時間があれば、少しでも高くしてから建てた方がいい)、スグ建てられます。或いは、今更移転したくないという方々にも、住宅の形態は、一戸建てから集合住宅に変わるけれど、住み慣れた所から動く訳ではありません。集合住宅は、いやだ? それは我儘,住民エゴというものでしょう。そのままいて、南海トラフが来て、もう瞬間に家は流され、しかし奇跡的に助かったとしたなら、随分と行政のお世話になることになります。それが当り前になっては、いけません。この災害大国の財政、元々放漫財政の上、37兆円もの復興費もあって、いよいよ悪化が進んでいますが、やはり、というべきかついに深刻な事態(国債暴落から経済破綻*)につながり、挙句激甚災害(南海トラフ地震。政府の被害額想定、最大で220兆円)に見舞われたとなると、国家破綻、外国からのお情け(援助)によって復興なんてことになりかねないからです。
太平洋戦争に次ぐ第二の亡国を招かないよう、根本的解決にはどうすべきか、覚悟して考えるべき時に来ていると思わない訳には行きません。
*この予測される破綻の日から目を背けない為に、最近(2025.1)出た本のご一読をお勧めしたい。 記:『持続不可能な財政 再建のための選択肢』河村小百合、藤井亮二著(講談社現代新書)