相撲が小さい
きょう(6月14日)、外出から戻って、テレビをつけたところ、いきなり大リーグ中継の画面になった。あれれ、総合テレビで? そうか、土曜日だからか。マウンドには、山本がいる。対ジャイアンツ戦。1:1、何だもう点を取られているのか。でもまだ1点、悪くない、しかし場面は、3回表、ボール3から、又も外の球が外れて、4球。表示を見ると、満塁ではないか。前の二人の走者も、4球なのだという。まずい。まずい。
この時、私の脳裏をかすめていたのは、或は、彼のデビュー戦、あの韓国での一戦の時のことであったかも知れない。もう年齢が、年齢なので、よく覚えていないのだが、満塁ホームランの悪夢がチラついて、そうなりそうで、たまらずイライラ。
恐らく山本も、際どい球を取ってくれない審判への不満が昂じて、苛立ちも頂点に達していたに違いない。それでも彼のしたことは、無難な筈のコースにきっちり投げること。球はほぼその通りに行ったのではないかと思う。インコース低め、だが……。
一体、こうまで超一流の評もある投手が、無惨な結果を招いてしまった、というのは、何が悪かったのだろうか。やはり、審判か。相性が悪いというのか、山本のギリギリのコースに辛い審判だった?
しかし例えそうでも、それは2イニングも投げれば分ってしまう訳で、それを意地になって投げ続けても、途中から、急にストライクになんてことは起こらない。
前からピンチを背負う度、感じていたことだが、山本は容貌からもうかがえるように端正すぎるというか、安全度の高い、きっちりした手順を踏んで抑え込むのを好む。完全主義と言っていいかと思うが、細か過ぎるという欠点も含む。
相撲で「相撲が小さい」と言われる力士がいるが、これは、大きい図体をしながら、小兵力士がするようなことをする。もう重さが全然違うのだから、例え、瞬間、もろ差しになられようと構わず押し切ってしまえばいいのに、用心をするというか、完璧を期すというか、巻き返しをしてから押す、時に隙を生じて、形勢逆転を招いてしまうことにもなる。
すぐに満塁に至る迄のリプレイが出たのだが、みな内外角の低めの際どい球がボールと判定されて4球を出しているのだった。審判に文句を言うべきか。いや、私から見てもそれは外れているというより、所謂「置きにいっている(腕を振り切ってないので、球がお辞儀をする感じになる)」感じの球で、全く、変な言い方だが、魅力がないのであった。もしビシッと、例の「糸を引くような」速球が来ていたなら、多少外れ気味でも思わず審判は、手を挙げたに違いない。審判も人の子、野球を愛しているし、ほれぼれする球を愛していると思うのである。
やはり山本は調子が良くなかった、と言えるかと思う。4球ばかりで満塁、となると、いかにもコントロールが悪かったように思われるかもしれないが、今も指摘したように、そもそも球威がなかった。それ故、どうあがいても球威のない投手の如く、コーナーギリギリを狙う投球に持ち込もうとしたのであろうが、打者にも、審判にも、見極められていた。
だったら、どうしたら良かったか。
やはり事前のこころの準備、最悪の場合を想定しての心構えが必要であったろうとは思う。そうせずままならぬ調子に直面したなら、よく言われるように、稲尾って、いや伝説の大投手は今はおいておき、居直ってしまうしかなかったのではないか。自分の持っているありったけを駆使して、打つなら打ってみろと、勝負に出る。それで、やられたら仕方ないと、観念する。
しかし、彼の持っているものを考えると、それもおかしい。居直るなんて、そんな大仰な転換は無用のこと。ここはやはり、事前の想定にあって欲しいが、気持ちを切り替えて、幾らか日頃より球速はなくても、高めの速球を使うとか、落ちる球を駆使するとか、どの球を取っても一級品、えぐい球と定評のある投手なのだから、どうにも出来た筈。また、緩急をつけ、全くタイミングが合わないようにしてしまうとか、或は、高・低、内・外と目まぐるしく投げ分け、もう打者が、目が回ってしまって、お手上げになるとか、そのような、或は芸術品と称されるかもしれない投球に持ち込むことも可能だったのではと思う。
『プロのバカ』の枠にこの稿を入れたとなると、監督迄バカにしたような格好になってしまうが、失礼しました。試合後、ロバーツ監督が繰り返した「狙い過ぎ」という言葉、「攻めていなかった」と言う言葉。核心を突いていると思う。できれば、こうなる前に日頃からしっかりと伝え、気づかせて欲しかった。
その狙い過ぎの真逆は何かと言うと、ど真ん中。まさか気前よくど真ん中に投げつづける訳にはいかないが、先に例示したような多彩な攻め方をされている際に、イキナリど真ん中に来られると、見送ってしまうことも、普通に起こる。少し山本には、細か過ぎるのをやめて、いい加減になって――いやそんなことより、まだまだ学ぶことの多いことを知って欲しいと思う。投げるばっかりが、練習ではない、嘗て成功した人の話を聞く(本を読む)のも、きっとヒントになる筈。こころの面、頭の面も充実させ、野球史に残る大投手となって、永く投げ続けて行って貰いたいと、こころから願っている。
先に変換間違いで唐突に登場させられてしまった、シーズン42勝や、日本シリーズでの5連投・4完投の、歴史に名を刻む大投手――驚異的と言おうと何と言おうと、どんな言葉もその偉大さを称えるには間に合わないと感じられる――元西鉄ライオンズ投手稲尾和久。
その精確なコントロールは、*リリースポイントへの、また、膝の使い方への研究心によって支えられていたが、捕手への要求は、大まかなものだった。
真ん中に構えてずっと俺のボールだけ見てくれ。
*以下の文は、Full-count(2017.01.04 11:34)「神様、仏様、稲尾様」の投球術 「3つの球種はすべて同じ握りだった」に依拠しております。