”逃げる”に逃げるな! その3
*引用のイタリック体を含め、太字はすべて筆者によるものです。
前回引用した内閣府の「南海トラフ地震対策」には、死者(32万3千人)を減らす為の対策としては、「全員が発災後すぐ避難開始 ・既存の津波避難ビル有効活用 等」とあるだけですが、それで、死者数がどうなるかというと、4万6千人に。エッ! そんなに激減!?
一体どうしてそんな"奇蹟"が起るのか。恐らくは「全員が発災後すぐ避難開始」するからだと思われます。このこと自体無理な、非現実ともいえる仮定であることは明白ですが、それが仮に出来たとして、みんな大丈夫、助かる、ということになるのでしょうか。前回に引き続き、避難行動の難しさ、見込み違いについて考えてみます。
⑺地震即津波 これこそ、逃げることの無効性、問題多く、自滅的な手段であることを決定的に示すケースです。これ迄のは、地震があって津波が来るまでに30分程度の時間があり、体に不自由なく、機敏に動いたなら助かっていたであろう状況。
しかし南海トラフ地震の場合、右上に載せた表(朝日新聞デジタルによる)を見ますと、早い所では、殆ど間を置かず津波が来ると予想されている。それでは、幾ら“逃げる教”の教えをよく学び、「その時にはすぐ避難する」と、毎日お題目のように唱えていたとしても、全くの無駄。逃げようと思った時には、もう津波が来ているのですから高台は勿論、すぐ近くの避難タワー(いま、浸水想定地域で増設が進む)、また避難ビル(4階建上の既存のビルを指定)も無理な話、或はひょっとして深夜にでも来られれば、家に用意した津波シェルターや津波救命艇にすら間に合わない可能性だってある。それでは、誰ひとり助かる者はいないということになります、恐ろしい話ではないかと思うのです。
確かに、すぐ來る、とは言っても、地区ごとに津波到達迄の時間は違っていて、千差万別ですから、すぐ家を飛び出し、近くのタワー(近いといいのですが)にでも急ぎさえすれば助かる所もあるかとも思われます。ですが、そうした恵まれた所でも高い所まで駆け上がるのは大変なこと。情報を得てからとか、様子見的なことをやっていたのでは、当然危ない。それ位、分ってるよ、と言われますでしょうか。
静岡県が令和元年に行った南海トラフ地震に関する県民の意識調査では、地震発生後、何かするにしても、揺れが収まってからであり、先ず逃げるではなく、テレビやラジオ、ネットで情報を確認という答えも多く、その1で取り上げた「正常化バイアス」がこの津波前の時点でもあからさまに出てきているのが認められます。中には家族の安否を確認、という答えもあり、東日本大震災なら許されたことも、南海トラフでは厳禁という覚悟で臨まなければならないのに、このままでは死者数激減などあり得る筈もないと断言できます。
⑻命も財産も 逃げることの大切さを説く方は、人命第一、命さえ助かれば、と言われるのでしょうが、しかし家・財産も大切ではないですか、と私は申し上げたいのです。ローンを組んで新築したばかりの一戸建て、いや古家だろうと、これが津波にやられ、再建するにはまた二千万、三千万のお金、命あっての物種などと澄ましこんでいられる金額ではない筈です。それにまた家を失ったとなれば国や自治体も放っておけず、多額な予算を計上して仮設住宅、災害公営住宅の整備に追われることになります。
ここで私は、無理な例えと承知しつつ、“逃げる教”信者の方にも大切な筈の家、逃げる際には、どうかそれも背負って逃げていただきたい、と言いたいのです。
そんな、無茶な! と非難ごうごうか。……しかしこの人はよく分るよ、と言ってくれるかもしれない。朝日新聞デジタル(2021。1.13)に取り上げられた岩手県田老地区の下西剛さん。流された家は、震災の7年前に建てたものでした。
「堤防は(避難の)時間稼ぎにしかならない。逃げれば命は助かるけれど財産は守れない」
人にとって、苦労して得た家・財産は、命も同然。家なんかは二の次という“逃げる教“の教義の、考えの足りなさに、私は気づいていただきたいのです。どうしてそんなに簡単に家(大金、家財もまた大金)を捨てて逃げてしまうのですかと叫びたい。これに対しても、「いいとは思わないですよ、他にどうしようがあるというんですか!」と怒鳴り返されるかもしれない。
そこにこそ、今の、と言うか、昔から相変わらずの津波対策の根本的な問題点が出ているのではないでしょうか。他にどうしようもない、家などにかまわず逃げるしかない、ということは、逆に言えば、捨てて逃げなければいけないような、津波に対し甚だ脆い、無策な家にみな住んでいるということ。違いますでしょうか。それは、当たり前のことなのですか、それしか選択肢はないのですか、と私は問いたいのです。
江戸時代ならともかく、これ程建築技術の進んだ現代にあって、 昔に比べればはるかにデザイン性に勝れ、モダンな家はあっても、津波常襲地だというのに、相も変わらず津波に遭えばひとたまりもない住宅に住み続けている、一体これは何なのでしょうか。どうして津波に対して工夫した、安心な住宅に住もうとしないのか。行政もまた、あれだけ耐火基準とか、耐震基準とか作って住宅の性能向上に努めているのに、それらよりはるかに大きな被害をもたらす津波に耐えうる基準を作ろうとしないのか。現にそういう建物(ビル)は開発されているのにです。
次には稿を改め津波が来ても逃げずに済むビルについて、どういうものか、ご紹介してみたいと思います。
巨大地震で最も恐ろしいのは津波であろう。東日本大震災の津波が押し寄せるあの禍々しい映像はいつまでも忘れることができない。そして予想される南海トラフ地震では速いところでは数分で津波が到達するという!まさにトロッポ氏の言うとおり逃げる間などない。
逃げる間が充分あったとしても、2万もの人が命を落とすのが、津波です。南海トラフだったら、地域によって多少の違いはあれ、短時間で津波は来る。ちょっとのミス(すぐ出る筈が、スマホを探して、手間取るとか)も許されないということは、肝に銘じておくべきでしょう。いや、そもそも逃げるのは不可能という、辛いけれど賢明な断念から出発して、対策を考えるべき。そうなら、逃げずに済む住宅に住んでいるしかない、という結論に自ずから達すると思います。