ポンコツ監督
プロ野球の監督ともなれば、現役時代の成績はともかく、野村監督のように野球を熟知した頭のいい人がなるべき、というのは、申すまでもないだろう。ところが現実には、そうでもない人がなってしまう場合もあり、優勝からずっと遠ざかっても長く監督だったある方など、楽天時代の野村監督から「バッカじゃ、なかろうか」と試合後の、例の出入り口から用も無さそうに入って来ては何かしら面白いことを言う(「マー君 神の子 不思議な子」も、その一つ)ので人気があった会見で笑われていた。その取った作戦が、全く野球のセオリーに反し、素人でもやらないようなものだった、ということらしかった。その後もこの、もの言いだけはかっこいい監督は、不思議な抗議(しても全く意味がない)をしたというのでも、話題になった。
ことしの大リーグの方に目を転じると、アメリカは勿論、いや日本で特にこの監督の指揮に、疑問符なんてものでなく、最悪やろ! と怒りをぶつけたくなった方も多かったのではないだろうか。それというのも、折角わが山本投手が、またリハビリ中の大谷投手が明らかに余力を残しながら抑え込み、勝利を引き寄せていたというのに早々と交代させて、救援投手が忽ち打ち込まれ、逆転負けを喰らうという、勿体ないでは済まない試合を重ねていたからであった。
投手交代のタイミングというものは、実績のある名監督だって悩ましく、難しいものであろうが、この監督に関しては、結果論ではなく、誰の目にも誤りは明白だった。
第一の疑問は、どうして前の試合で打たれた投手をまた使うのか、ということである。今度は大丈夫、あれは、偶々だった。だが、また打ち込まれる。それでも、又使う。こうなると、野村監督ならずとも、「バッカじゃなかろうか」と言いたくなる。先ず監督がやるべきことは、大事な試合の締めを託している投手が失敗した時、即その原因を探ることであろう。あの大魔神、佐々木投手だって、打たれることはあった。しかし、その原因は、偶々直球が走らなかった、或はコントロールがきかなかった、ということであれば、次また失敗とはならない可能性が高い、ド軍の抑え投手はどうか。同系統の球ばかり投げるしかない単調なピッチングが打たれる原因だと判明したとする。それでは、また明日投げても、同じことになる。
同様なことが一昨年のエンゼルスでも起こっていた。リードしての九回、エステベスという抑えの投手が出て来ては、ノーコンで四球を出しては長打を喰らい、折角の勝利がフイになるという苦い場面が繰り返された。大谷ファンなら、まだご記憶に新しいのではと思う。この投手の場合もスピードボールを力任せに投げ込むしか知らないと言った、呆れる程にワンパターンのピッチングが常で、偶に、というか申し訳程度にカーブも投げはする。これが、直球とカーブだけで224勝もした日本の投手のそれに比べるべくもない二級品で、直球を引き立たせる効果も薄くては、打者に的を絞られ易い。肝心なことは、常にこの投手は、打たれ易いという問題を抱えていた、ということである。遅くとも、二度つづけて打ち込まれるようなことがあったら、対戦球団はどう見てるかという視点に立って、この投手を分析してみる必要がある。こんな相手にとって美味しいピッチャーを送り出していた無謀さに自ら呆れることになるだろう。
今年のドジャースに起こったことは、これよりもっとひどい失態の繰り返しだった。まさか、高い契約金で取ってきたんでは、使わない訳にはいかない、と考えたわけではあるまい。スコットというピッチャーの球種は、二つ。直球とスライダー。エステベス同様でも、カーブよりもっと変化が乏しいことになる。これだけでも通用したから高い契約金になったのだろうが、しかし調子が落ち、自信も失くし、厳しいコースに決められなくなった途端に転落する。
これに対し、調子が最悪でも何とか切り抜けられるのがエースというものであろうが、それには元々引き出しが多く、一つの球がダメでも、他の球で、球速がなくても、遅い球効果で補う、とかの芸の幅、懐の深さが求められる。得意な球一つだけでのし上がったとしても通用する期間は極めて短いという他ない。
ド軍のことし、当てにならないブルペン陣、だったとしても、みながみな悪かったわけでもない。バンダのような好き放題に使われても、何とか期待に応えてきた投手もいる。時間は飛んでしまうが、最終節のマリナーズ戦では、救援陣が出て来ては三振を奪い、何と9連続三振で締めくくるという異変?も起こった。その中には、野村流に今後足りないものを教え、育てるようにすれば、切り札として定着できそうな素質を感じさせる者もいた。ダメ投手には早く見切りをつけて、バンダの使い方を見直すなり、夫々の素質を吟味して取り立てるようにしたら良かった、ということではないか。
ダメな投手を見分けられない目の無さと共に、ド軍監督について言えるのは、この工夫の無さ、やりくり能力の絶無さである。試合に於ても、後を託せる投手がいない、不安だらけ、というのであれば、その日、先発が球数も少なく快調に来て、しかもリードしていれば、1回でも長く、場合によっては最後まで投げさせようと考えても無謀とは言えないだろう。それで球数が増えて体が心配だ(日本では嘗て、4連投4連勝で日本一の投手も)というのなら、充分疲労が取れるまで、次の登板を延ばしてやればいい。目先の1勝を逃すべきではない。
そして終に、思い出すのも辛い、といったような破局を見るような試合を迎える日が来た。いよいよ終盤、瀬戸際の試合のつづいていた9月17日のフィリーズ戦、この試合、大谷は先発して5回を投げ、ヒット1本すら打たれておらず、球数は68球であった。スコアは4-0と、大谷なら、というセーブティーリード。だが、この監督は、大谷を替えてしまえば、そんなリードなど無いに等しい、ということに気がついておられなかったようだ。日本のファンは勿論、野球人だって、きょうこそは大谷もリハビリを続けてきたことだし、多少長く、100球近く投げてもいいのではないか、と考えていた人は多かったろう。
だが、ここで降板。なんで! 大谷本人もダッグアウトでの表情か、納得したものでないことを顕していたとも伝えられた。断言できることは、彼自身も後の展開に不安というか、いやーな感じを持っていただろう、ということである。それは的中した。代った途端の6回表、一挙に6点を取られて、試合をひっくり返されてしまったのである。
ああ! ここで思い出されるのが、勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし という野村監督がよく口にしていた言葉である。
大谷の出現で、大リーグ中継が当たり前になり、日米野球の違いを意識する機会も多くなった。誰でも気づくこととして、バッテイングの粗さ。見逃し三振、悪球打ちの多さ。ピッチングだって芸の細かさ、というようなものは見出しがたい。多くの場合、力任せが出来る間だけ、活躍できる。起死回生を図りたければ、わがヤクルトの石川は、いいお手本、いい先生になれるに違いない。WBCで日本が優勝したのは、米が全米という程、選手を揃えてなかったからばかりではないだろう。頭を使った野球がどれだけできるか、の差ではなかっただろうか。
負けに不思議の負けなし、負けて当然のことをする監督に大谷を任しておいていいのものか。杞憂というなかれ、ホームラン王争いをしている時に、その選手を休ませる。打率争いなら、休む効果はある、打率が下がらないのだから、しかしホームランは、打席に立たない限り生まれない。大谷が、タイトルへの挑戦的気持ちをここ迄来て喪失してしまっていたとは、とても考えにくい。「ポストシーズンを見据えて」とかいう監督の意向に逆らいたくなかったと考えるしかない。
頭が悪過ぎるのではないだろうか、最終戦で1本差に迄迫っただけにその感を強くする。 大谷には、これ迄の、監督に自分の身を預けたような気持ちを捨てて、出来るだけ自分の思うような方にもっていけるよう、日頃からの自衛的な訴えかけを期待したい。
