ゴンちゃんの家
いなくなった猫を求めて土手の道を、川下の方へと下っていったのだった。
子どもだった頃――もう何十年も昔、竹藪だったり、林だったりした。鳥が急に鳴きだし、思わず足を止め、見ていたこともある。
今はそこに家が並ぶ。伐り払われ、また伐り払われて。
左手の川の側も、土手のすぐ下が河原になっていたのを整地して、公園のようにしていた。それでも、所々は雑草の生い茂る藪のままで、そんな中にこそ、うちの猫――シーちゃんと名付けていた――が、隠れていやしないかと、立ち止まっては目を凝らす。
家の側は、塀とかなく、少しフェンスをめぐらしただけなので、どんな家かというのは、すぐ分る。揃って二階屋で、玄関前にクルマが1台、時には2台、停まっているというのも、同じだった。猫はこんなところにはいない。
二年半前に、子猫だった時にうちに迷い込んで来た。真っ白の猫で、整って綺麗な顔の、とりわけ鼻のところがサクラ色なのが愛らしかった。野良猫だから、少し時間がかかったけれど、家に居着くようになり、いつも抱いて寝るようになっていた。寝る頃になると、高い所に駆け上がったり、騒動を始めるので、時には、廊下に出す。朝早くに戸を開けると、音を聞きつけて、駆けてくる。
見る間に大きくなっていったけれど、まだ体には、少し推なさが残っていた。その頃からでも、虫やらトカゲやらを獲ってくるようになっていた。小鳥を獲ってきた時には、私の前に持ってきた。そして来てから、一年は経っていただろう、部屋に置いたエサを食べると、すぐにまた出てゆく。やはり出てゆかれると淋しく、何でと、腹も立った。そしてついには、ずっと外で過ごすように変わってしまっていた。
今思えば無理に家に閉じ込めて、外には出さない、という手もあっただろう。犬は飼ったが、猫は初めてなのだった。オス猫に施すという手術のことは、考えたくなかった。無理に人間に合わせて、体をいじることに踏み切れない。次第に、外の方がいいのなら、それでいいと思えるようになっていた。
出ていって初めての冬は冷え込みが厳しく、雪も降る日がつづいたので、どうして外で過ごしているか、いいねぐらを見つけているかと、気になった。昼になり、外に置いたエサを取りに姿を現すと、ホッとした。心配ない、野良猫として、逞しく生きている!
それでも、よく目の周りを赤黒い分泌物で隈取して來る。やっと綺麗になったかと思うと、また、もっとひどく、片目の下がただれ、腫らしている為に眼球が殆ど隠れたようになって來る。他の猫との喧嘩が激しいのだとしても、いつもやられてしまうのか……。折角の愛らしい顔が台無しだった。それでも、また二週間も経つ中には、ほぼ綺麗な顔になっているので、このままずっと行く、それはそれでいいと、思えるようになっていた。
しかし……いつか、姿を見なくなった。だんだんとおかしいと思うようになり、とうとう慌てるというか、焦る思いで記憶を辿り、大川端にいて、傾いた陽に、眩しそうにこちらを見上げていたのを見たのが最後だったと判る。そこは来て以来のシーちゃんのお気に入りの場所だった。草むらに寝そべり、日向ボッコをしていた。時には足を投げ出し、正体無く眠っていたこともある。かと思うと、突然、自分で飛んだり跳ねたり、バッタを追っかけたりもしていた。それからもう三週間。やはりこれは……。
一月、二月と過ぎてゆくといよいよ心配になり、これはもう死んでいると、半ば諦めの心境にもなっていた。表には道路があり、そこを越えて行った所の、他所の家の中を歩いているのを見たことがあったから、クルマに轢かれたのではと、時々道路とその周りを良く見て歩いた。また、どこかで、例えば出られない所に落ち込んでしまったとか、他のオスとの喧嘩の傷が元で亡くなってしまったとか、そんなことも頭をよぎった。
色々心配しながらも、若いオスなのだから、そう簡単に死ぬとは考えたくなかった。きっと生きている、と思うことにした。小鳥なんかも獲ってきていたから、もっと狩りの出来るようなところを探して行くとか、滅多にない雌猫との出会いを期待して行くとか、気の向くまま道を進んでいったのだ。
猫を何匹か飼い、野良猫にも優しい人に聞くと、やはりオス猫には放浪癖があって、行ってしまうと、大抵は戻って来ないが、、中には、二年くらいして戻ってくるのがいると言う。
シーちゃんも、ある日、この先、何があると、本能に促されるまま道を辿って行ったとすれば、私の家の裏手に当る、こっちの方に違いないと見当をつけたのだった。この道は、川に添って、ずっとつづいているので、そのままずっと行ってしまって、不思議はない。
シーちゃんが或は通ったかも知れない途中の住宅街、大して猫が隠れるような所もないが、一応隈なく見てゆく。
そんな間に同じ木が並べられて植えられているために、すぐにはその奥の様子が見えない家があった。コノテガシワという木――私の出た中学校の庭にもあって、校庭の掃除をさぼって隠れていると、森林らしい、いい匂いがした。大体はたまご形をしているのに、ここのは上が少々刈られてしまっている為に、お腹の出た大ダルマを想わせるかっこうになっていた。
生垣にしては、木と木の間に隙間があり過ぎて、その気になれば、奥が覗ける。私はすぐにその隙間に顔を持ってゆき、中を窺いて見た。老人が、のぞき見!
驚いた、雑草混じりの荒れた芝生の庭の向こうに、猫が何匹もいたのだった。あったのは古い小さな平屋の家で、左に1間の窓があり、玄関があって、右にこちらもサッシの二間の窓。昔造られ、今もどこかに残る市営住宅を思い出した。その平板な造りの家の軒下に猫が、五匹はいただろう。しかも白い猫だった。その中に一匹白い猫がいたので、一気にその猫に目が吸い寄せられた。足を体の下に折り畳み、蹲る猫。じっと見つめる。シーちゃんだと思いたいが、どうも違う、何かを感じてこちらを見ているような目が、違う。こんなきつい感じではない。
それにしても、一体、これは、どういう家なのだろう……。
これだけの猫を飼っているのだろうか? 飼っているのとは、一寸違うような……。
また来てみようと思い、その先をもう少し進んだところで、当たり前だが、植木の切れた所から入れるようになっていた。
また次の日も、気になって行った。あれだけ猫が集まっていれば、そこにシーちゃんが立ち寄ることがあったとしても、不思議ではない。
行ってみると、更に猫の数は増えて、六匹以上はいるように見えた。いや、私が入口の所に立つと、逃げ出すのもいたので、きちんと数えるのは無理だった。この日も白い猫はいたが、キジトラというのか、縞々の猫ともつれ合って寝ているので、昨日の猫かどうか、見分けられない。ひょっとしたら、シーちゃん? そう思うと堪らなくなり、思わず名を呼んだ。子猫の時から、二年半近く見て来て、名を呼んだら、ちゃんと振り向いたりしていたのだ。
「シーちゃん」
二度目は、家の人がもしいたら困るので、かつがつ猫に届く程の声で呼んだ。
折り重なっている猫に全く反応がない。もう一度呼んだが同じだった。
姿を隠してから、三カ月以上は経っているから、もう忘れてしまったのか。
いや、違う、と私は思った。今そこにいる白猫は、シーちゃんではない。
こうして私は、一週間に一度くらいの割で、この家に足を運ぶ、と言うより、シーちゃんの姿を求めてついつい先迄行き、途中必ず立ち寄るようにしていたのだ。その中、私は犬の散歩でこの土手をよく通るという人から、「ああ、あの猫の一杯いるお家?」と幾らか詳しい話を聞いたのだった。「あそこは、ゴンちゃんの家と言うのよ」
「ゴンちゃんの家?」
「そうなの、ゴンちゃんというのは、イヌのことで、あの家で長く飼っていた、多分レトリーバーだと思うけど、大きな犬だったの。もう死んで一年くらいになるのかな」
「見たことあるんですか」
「二度くらいかなあ。もう弱っていて、寝そべってばかりいたの。元気な時だって吠えたことなんか殆どないって、あそこの人が言ってた」
「猫屋敷なのに、ゴンちゃんの家、ねぇ」
あの家に人がいる、とはっきりして、わたしには一つの当てができた。もしかしてその人が、シーちゃんを見てないか、ということだった。
それからすぐ、次に行った時、私は勇気を出して、猫の屯する玄関に近づいて行き、呼び鈴を押した。…………出て来たのは、五十を少し超えたくらいの、家にいるにしてはやや派手めな服装の大柄な女性だった。
私は女性の磊落そうな印象に安心し、「いなくなってから三カ月近くになるのですが、ひょっとして、こちらにも来たことがあるのではと思いまして」と言った。
どんな猫かと聞かれ、真っ白でオス、やや丸顔でとっても愛らしい顔をしている。尻尾は長い方と言った。そんな説明より写真を持ってくれば良かった。
「白い猫も、結構いますからね。でもみんながみんな、可愛らしい顔とは限りませんから、ひょっとしたら、私も覚えていて、思い出せるかも知れません」
「一時期、首輪をしていました。去年の、二月か、三月迄のことだったと思いますが、パステルカラー3色の愛らしい感じのものです。その頃から、ここに来ていたとしたらですが……」
「ああ、首輪! そうですそうです、いました。やっぱり一年以上前ですかね、野良猫で首輪してるのなんて、まずいませんから」
「ほんとうですか」
「ええ、一回だけだったですけど、確かに白い猫で首輪もあって、可愛らしい猫だなと思ったのを覚えてますよ」
「それだったら、間違いないですね。ただ、最近、というか、このニ三カ月は、どうですか」
「全く見てないですね。ただそれは、わたしが出て見た時に、偶々いなかったということもありますからね、確かに可能性は低いですけど」
又一週間して行き、呼び鈴を鳴らした。この前の、花柄の服を着た奥さんが出て来て まだシーちゃんは、来てませんよ、と言った。
私は、いつ頃からこれだけの猫が来るようになったか、聞いた。もう三年くらいになると言った。初めは一匹か二匹だったのが、「口コミで広がったんだかなんだか分らないんですけど、エサをやっている中にだんだんと増えてしまって」。
ゴンチャンは、一年半前に死んだのだそうだが、猫が来ても全く気に留める様子はなかったという。猫もゴンちゃんを見て、一度は足を止めるが、すぐに入ってきたと。
だが野良猫を目の敵にする人もいる。
自治会の方では、盛んに野良猫にエサをやらないようにと、配りものもして、呼びかけていたので、どういう状況でか迄は聞かなかったが、彼女も、エサのことで言われたことがあったという。チクチクと、これだけの猫にエサは、大変じゃないですかとか、気遣う振りをして、結構ねちっこく言ったのだという。
ここには、夫婦で暮らしていて、広島から来ているのだということだった。夫の会社がこちらに支店を出して、それで転勤してきたのだが、近く広島に帰るのだと言った。
「そうなんですか。猫、は……」
「飼っていた二匹は連れてゆきますが、後は置いていくしかないですね。野良猫を世話している所に頼むのもいいかなとは思ってます」
ゴンちゃんの家は空き家になった。行ってみると、猫は相変わらず家の基礎部分のすぐ前のコンクリートの、また草の生えた所に何匹かいるのだった。大抵は、互いに離れて、前足を内に折り畳んだ蹲る格好でいる。中には一匹の上にもう一匹が頭を載せて、仰向けの恰好で爆睡中などというのもある。そんな中に白い猫もいて、一匹どころではない、三匹もいたのだったが、顔つきとか、尻尾の長さとか、明らかな違いがあった。この頃には、わたしはもうシーちゃんが、ここに來ることはないと、一応思い切れていた。放浪の果てに戻って來るのかもしれないが、それは奇蹟を願うようなもの。当てにせず、待つしかない。
ただ、いつ迄かと、初めてネットで調べてみた。野良猫の寿命は長くて五年くらいとあった。飼い猫よりは遥かに短く、半分或は三分の一とされているという。短いだろう、とは思っていたが、大体が三年程度とは! しばらく呆然とした気持ちだった。
それでも私は、ゴンちゃんの家に通い続けた。空き家となった家に近づくことは、一寸遠慮されたが、容易だった。猫は、相変わらず家の前にいた。私が家に近づくと、逃げてしまうが、中には、じっとしているのもいる。窓に貼り紙がしてあった。
「ここにいる猫を保護する活動をしています。無断で入って来て、猫をおどかしたりしないで下さい」
凡そそんな意味のことが、走り書きの字で書いてあって、猫団体らしい名が最後に記されてあった。
「保護活動」というのは、どんなことなのか。不妊手術とかして、貰ってくれる人を探すことか。少し高圧的な文面も気になった。
改めて猫に詳しい人に聞くと、放っておいてやるのが、一番なのにね、と先ず言った。これから色々な手を使って捕獲し、不妊手術なり去勢手術をしていくのだろう。
なかなか出来ないことをやっておられるのだけれどもね、とも言った。手術には結構お金がかかるので、その辺もどうしているのか。 自治体からの補助金はあるのだという。 自治体では野良猫をゼロにするつもりでやっており、エサをやらないと、その寿命からして、近い将来に絶えてしまうと見込んでいるのだとも言った。
「エッじゃあ、猫はみなショップで買うしかない? 貧しい家の子は飼えなくなるね。うーん、ジイさんと野良猫との物語もなくなるのか」
その折角出会った可愛い猫を、去勢手術を怠ったばかりに、つまりは、行方不明にしてしまった私は、どう考えればいいのか。人間のエゴで、猫をペットとして利用したければ、近所から苦情を言われず、猫に家出されないよう、手術するしかない。猫の体に改造を加え、一種のロボットのようなことを強いている訳で、それが標準というか、広く行われていることで、この団体だけを悪くは言えない。
こうなってはもはやゴンチャンの家に行く理由はなくなった。
ただ、それでも、家の裏に出、土手の道が目に入ると、もしかして、シーちゃんがと、どうしても足が向いてしまうのだった。
そして、ゴンちゃんの家の入口の所に立つ、ほぼ期待の気持ちを消し去って。どうか? 猫はやはり少しずつ減ってきているように思われた。その一匹一匹を見回す。
やっぱり、いなかった……。
性懲りもなく、割り切っている筈なのに、ガッカリしていつも後にして来る。そんな時見ると、ちょっぴり慰めを感じさせてくれるものがあった。一本の木だった。あの私が初めて来て、その間から家の様子を探ったコノテガシワの前に生えていた。大木だった、という程でもないのかも知れないが、幹回りは、大体で、50cmくらい、我が家の前にも立っているコンクリート電柱より少し細めではあった。私はここにいる猫を撮っておいて、家でよく見るつもりで、カメラを持って行くこともあったので、ついでにと、この木を撮っておいた。
なんという木か、だったが、榎だということは、じきに知れた。この川土手沿いには、他にも三本くらい、割に大きな仲間がいたので、葉っぱなんかの特徴からこれもだと。珍しくもない木、ならいいが、厄介な木。と言う訳は、ここの川岸、コンクリートブロックの隙間なんかにも多く生えていて、自治会の一斉草刈りの時、刈るのだが、すぐ芽をだして、切りがない。はびこり過ぎて、迷惑な木なのだった。
それでも大木となったこの木には、いいところもあった。
根の所から三メートルくらい上まで、全く枝がなく、スーッと立っている。その姿も悪くなかったが、そこから上、立派に枝が張り、葉っぱが豊かに繁っているのだ。ネットで見ると、榎という木、江戸時代、旅する人に木陰を提供するために、一里塚に植えられたものだった。それでだろう、字を見ると、木の横に夏で、えのき榎。
それよりも私を喜ばせていたのは、根張りの面白さだった。恰好が何かに似ているな、と思った。象だ。象の足にそっくりで、木ながら、とても愛らしく感じられる。調べている時だったが、どこかに、多くの木の中、根張りの美しさでは、一番だとあった。美しいのかも知れないが、この木の場合、何しろ人間的で、見ると、微笑ってしまう処がある。おかしなオジサンが立っているようでもあった。
もう出会える筈もないと知りつつ、土手の道を行くことはつづけていたが、それは、ゴンちゃんの主人だった人が引っ越して、半年後くらいの時だった。工事が始まったのだ。家も建て替えるのか。庭なんかもいじっているようだった。そうなっては立ち寄ることは無理で、しばらく離れている他ない。
さすがにもう終っただろうという頃に行ってみた。家はそのままで手直ししたようで、庭も綺麗に均され、新建材製の板による塀が巡らされていた。
用済みのコノテガシワが無くなるのは、当然として、何か変だなと思った。ア~ッと、私は、心で叫びを上げていた。
象さんの足が消えてしまっている!
どうしたのだろうと、その木があった所を覗きこむと、綺麗に切り取られていて、地面に模様のように、大きな象さんの足跡があった。
これで、本当にここに來る理由がなくなったと思った。なんだかんだ理由をつけて、ここに通っていた。もし奇蹟的に戻ってくるとしても、二年後? 三年後?
しかし、野良にそんな時間はないのだった。そのことがはっきりしてからも、まだシーちゃんが、近くの旅先から戻って來るような気もして、懲りず来ていた。そんなこともひょっとして、“象さん”がいてくれたからかもしれないと、初めて思い当った。
土手の道との縁も終りになった。お蔭で思い出すことも少なくなったけれど、何かの拍子に浮かんでくるものはあった。大川端のいつもの所で、傾いた陽にこちらを眩し気に見上げていた。
「シーちゃん」
「お前は、もういないのか」